わたしの、あきちゃんの、20年。

あと1時間で、わたしの20回目の誕生日。

 

なんだろう、この変な感じ。ちょっと、今の現状に満足できてなくて、でも明日からのまた新しい自分に少しだけワクワクしている感じ。この感じがたまらなくいとおしいな。

 

このブログを今日久しぶりに開いたら、なんとまあ1か月も更新できてなかった。毎週土曜日必ず更新するとかよーて(笑)さすが自分じゃな(笑)。

今日、10代最後の日を過ごしたわけだけど、やっぱり思ったのは、    

 

わたしってぜんぜん変わっとらん!笑

 

もうね、ほんと。マイペースじゃし、のんきだし、いつまでも自分に自信ない。でも、ちゃんと人のことは考えられる。いいところも悪いところも、両親に似たなーってほんと思う。

 

この1か月、特にこの20年、というか今までの人生を振り返ることが多くあって、なんかなーうん。自分でいうのもあれじゃけど、つらいこと多かった。人前で笑い話にできるレベルのネタがなさすぎるー!って気づきました。小学校4年ぐらいまでかな。自分が嫌だって思うことを、相手にイヤって言えんかった。しかもその嫌だったことをだれにも話せんかった。消えてなくなりたいって、何度もおもった。あのときなんで私は学校を休まんかったんかよー分からん。その当時の写真もあとでみたけど、ケロッとしてたな。まさかこの小学4年生の女子が毎日学校でつらい日々を送ってるなんて誰も思わんよね。

亡くなったおじいちゃんに、会うたびに「学校楽しい?」って聞かれて、約束のように「うん!」ってこたえるのもまたつらかった。いまもしもう一回おじいちゃんに会えるなら、真実を話したい。家族だもんね。

でもあの苦しい経験があったから、それから結構自分の意見言えるようになった気がする。

 

あの壮絶な日々を経験しなかった私って何なんだろう。それは間違いなく自分ではないんだけど、いや、でも経験しない人生も歩んでみたかったんだけど、やっぱりあの日々があったから今の私なのかなあ。

教育に興味があるのも、生きづらい人に寄り添いたい気持ちがあるのも、やっぱりあの経験があったからなのかなあ。だとしたら、すごく充実した日々を送ったんだなあ私。あのとき本気で消えようとしなくてよかった。

 

 

こんなかんじで自分のブラックヒストリーを語ってるわけだけれど、やっぱり家族の温かさややさしさやほんのちょっとの厳しさがなかったら今の私はいないわけだよ。私には想像もできない苦しさを2人にはさせてしまったし、たくさんたくさん迷惑かけた。このまえ久しぶりに電話した時、はじめてお母さんにいろんなこと話せた。昔の自分じゃ到底語れなかったことまで。

私はたぶん、いまのわたしだったらたぶん、2人にいままでのすべての借りを返すことはできん。だからこれだけは。

いままでもこれからも私らしい私でいる。無理に挑戦してもきっと私は降格するし、かといって何もしないのも私らしくない。だから、2人が育ててくれた「私」を大切にする。お父さんにもたまには素直に自分の気持ちがいえたらいいな。

あと家族みんな。みんなが大好き。優しい皆が大好き。みんながいるから今の私があるんだ。

あとおじいちゃん。私はむこうのせかいのことを信じているし、おじいちゃんがいつも見守ってくれてること知ってます。あのとき大粒のなみだ流してくれてありがとう。月のように、私たちを照らして、こんな臆病な私に大きな勇気をくれてありがとう。

 

わたしの人生だから、多分明日から落ち込む日々が始まるし、ちょっとしたうれしいことで喜んでる。でもあしたからの私はたぶんちょっとだけ今までの私とはちょっと違うし、大きくなりたい。

 

最後に。

10代の自分。今までたくさん悩んだね。ひとりで泣いたね。焦ったね。キュンキュンしてるね。激動だったよね。でもそれでもあなたがまいにち生きてくれたからいまわたしは生きています。

20代。あなたが生きてくれた証を刻むようにまた生きていきます。どうか優しくなれますように。

 

ああ、26日になっちゃう。